言葉の森へ、ぶらっと。(5)

 正直かなり手こずっています。人麻呂の「歌の森」は気軽にぶらっと散策するには、あまりにも深く、無数の木々が生い茂り暗く、道がよく見えません。入り組んだ道を探索しながら歩いてみようと考えたのですが、本来の「言葉の森へ、ぶらっと」のポリシーからどんどん離れていくようです。困難な探索はいったん休止し、もっと楽しみながら歩いてみましょう。

 先にすこし触れました「巻向万葉歌群」の歌そのものを見て、古代の言語創造者としての人麻呂について少し考えることにします。
 巻向地方を詠んだ万葉歌は全部で15首。三輪地方の歌についで数が多い。櫟本(いちのもと)が柿本氏由縁の地、と考えてもおかしくないと思いますが、その近く南方にあたる巻向地方も祭事歌謡に携わった柿本一族の拠点であったと推測できます。いろんな説があり、確定はできないのですが…。私が巻向からそれほど遠くない昔の桜井町で生まれたことでもあり、一応、巻向説に賛成なのです。では、「巻向万葉歌群」から以下4首一一。

あしひきの 山かも高き 巻向の 崖(きし)の小松に み雪降り来る(巻10 2313)
三諸(みもろ)の その山並に 児らが手を 巻向山は 継ぎの宜しも (巻7 1093)
あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ち渡る(巻7 1088)
巻向の 桧原もいまだ 雲居ねば 小松が末(うれ)ゆ 沫雪(あわゆき)流る(巻10 2314)

 4首とも”情景歌”とでも言えばいいのでしょうか。とくに難解な歌ではなく、現代語訳するまでもないと思いますが…。むしろ現代語訳にして意味だけを見てはダメなんじゃないか、これらの歌が秘めている何か大きなものが見えなくなってしまいます。「言葉の森(4)」で、吉本隆明が”近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ”に付した文章を引用しました。「韻律・撰択・転換・喩でみていかなければ、日本の音数による詩はちょっと理解のしようがありません」というところです。もう一度、読み直してください。

 この「巻向万葉歌群」にも同様のことが言えます。「微細にみていくと…音数も守り、音韻のリエゾン、連音ののびやかな使われ方など」が、口に出して何度も読んでみると感じ取れるのではないかと思います。どうでしょうか?

 私たち現代人は詩にたいしても、その詩人の思想や価値観などといったものを求め過ぎるのでは、というか、詩人も読者も理屈っぽく考え過ぎているのではないでしょうか。

 謡う歌、つまり歌謡の魅力がなくなれば、「現代詩」といえどもダメなんじゃないか、思想なんかなくてもいい、と言っているのではありません。しかし、すぐれた詩にはもっと大きなもの、たとえばその詩人が歩いてきた時間や空間、そこで驚いたり、喜んだり、悲しんだりしてきた全てが凝縮されている。そしてそれを謡う言葉の響きとして表現されている。それがその「詩の世界」であり、意味を解釈するだけでは理解できません。

 「どんな言葉も、言葉をとりかこんでいるものから、自由になれない。言葉の外にはつねにはげしい沈黙がある」と、すぐれた現代の詩人である長田 弘は『私の二十一世紀書店』の中で書いている。私は
「巻向万葉歌群」を「とりかこんでいる」深い沈黙に耳を澄ましてみたい。


  夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡 松尾芭蕉

 人麻呂から芭蕉へ、いきなり跳んでしまいましたが、この有名な句に耳を澄ましてください。奥州藤原氏が滅亡して500年後、元禄2年(1689)に芭蕉は「奥の細道」の旅に出ます。そして江戸を発って
44日目の5月13日、平泉を訪ね、かって源義経が自害したと伝えられる高舘の丘陵に登ります。その
頂上の束稲山のふもとを北上川が昔と変わらず悠々として流れていますが、旧跡は夏草が生い茂るばかりで、往時の栄華は見る影もありません。

 「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という杜甫の詩を、芭蕉は思い浮かべたちがいありません。「夏草や兵どもが夢の跡」は、私たち日本人の美意識をキラリと光る宝石のような言葉でインスパイアします。そして、この句を取り囲んでいる沈黙の深さに私たちのイマジネーションを誘います。 つづいて芭蕉は、中尊寺の金色堂に参詣します。北条氏によって建てられたという覆堂の中で、金色堂はほとんど朽ち果てていたのではないでしょうか。ここで、「五月雨の降残してや光堂」の句が生まれました。「金色堂」を「光堂」と詠んだ芭蕉の言語創造の天才に驚嘆します。私の勝手な想像ですが、五月雨の中で、朽ち果てた金色堂が一瞬、かっての美しさを甦らせキラキラと光り輝いたのでは…、そんな幻視に誘われます。「夏草や…」も「五月雨の…」も、句を構成している言葉の繊細な響きが、句の背景にある栄枯盛衰の歴史=兵どもが夢の航跡を、華麗なイメージで彩色して甦らせると言ってもいいでしょう。

 私は人麻呂の 「巻向万葉歌群」を「とりかこんでいる」深い沈黙に、芭蕉の句が誘うのと同種の幻想に導かれます。たとえば、
 「あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ち渡る」は、「渓谷を流れる瀬音が高く鳴るにつれ、巻向山の頂(弓月が丘)に雲が立ちこめてくる」という、情景を詠っているわけですが、単なる情景描写ではない何かを感じますね。「雲立ち渡る」は、樹木に覆われた峯々の谷間から深い霧が湧き上がり、立ちこめてくる情景を想像してください。「弓月が丘」は巻向山頂の神聖な場所だったと言われています。また、「鳴るなへに」の「なへに」は「……とともに、次第に」という意味です。
 島木赤彦(明治9年~昭和元年/アララギ派の歌人)は、「詩句声調相待って活動窮まりなきの慨がある」「一首の風韻自ら天地悠久の心に合するを覚えしめる」と激賞された歌です。山水の神霊に祈りを捧げる歌、”祝詞の和歌化”と言ってもいいのかもしれません。言葉には霊魂が宿る、その”言霊”と山水の”神霊”の合一という考え方もできるかもしれません。「一首の風韻自ら天地悠久の心に合する」は、そうした奇蹟が人麻呂の歌により顕現した、と解釈できないこともありません。たぶんそんなに間違った考え方ではないでしょう。しかし、そこに留まっていては、人麻呂の歌を取り囲んでいる外の世界へ出ていくことはできません。先ほど芭蕉の句にふれましたが、まだまだ不十分です。深い沈黙を聞き取るところまで、「言葉の森」をもっと散策しなくてなりません。(この項つづく)

古林清嗣 (株)グループ現代・代表

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