Tatazumai Beauty – Kenkyo

ココロノーツガネ

平成16年(2004)5月8日
尾崎 水耶

「地球に謙虚に」運動代表・仲津英治氏とは、京都大学の野村隆哉先生が主宰されていた「木文研究会」に参加させて頂きご縁を得ることができました。その折、山陽新幹線電車500系先頭車形状は、大掛かりな実験装置とスーパーコンピューターによる解析の結果、「カワセミの姿」に極めて近づき、自然界にヒントがあるというお話が素晴らしく印象的でした。 以後、一方的プロポーズで現在、運営しております『佇まいネット』のスピリッツとして「地球に謙虚に」を掲げさせて頂いている次第です。

 当時の私は、勤務しておりました広告制作会社を退社して「水」を視点とした情報誌『水地比』の編集・発行を開始した頃でした。この『水地比』活動は、知人と、日本の大地の循環における水田の効用について語り合ったことを機に、立ち上げた交流会「水の花」が発展したもので、「水」を機縁として水環境保全活動、水関連製品開発、水域利用のリゾート計画案等々に携わる人々とのつながりが生まれました。そんな中で私としての「水」は、「一滴の雫」が一大事でした。そして、それは「水琴窟」へ。

 「水琴窟」は江戸時代、小堀遠州によって考案された庭園の排水装置から誕生したものです。そのネーミングは誰によるものであったか不明ですが、地上からの水滴が地中に埋められた甕の空間内を通過して、底に溜まっている水面に落下したときに生まれる反響音がことのほか情趣にあふれていて、その音発生機能装置は以後、造園手法として豊かな家々の庭園に設営され広まって行きました。

 その後、大正時代以降は下火になっていたものが昭和56年頃からふたたび注目をあびるようになっていました。
 その一滴一滴の雫が響く機能装置を室内にもちこめたなら、との思いつきが始まりの私の考案は、デザイナー・陶芸家・信楽工業協同組合の協力を得て、室内用水琴窟「水咲(すいしょう)」として製品化に至ることができました。

 この落下水滴から生まれる反響音は波形測定により、感情に有機的働きをするとされる「ゆらぎ」、1/fの傾斜を持っていることも判りました。 この「ゆらぎ」を追いかけていると原始仏教哲学である「空」の縁起思想へと向かうこととなりました。釈尊が説いた「空」は龍樹の『中論』に著され、以後の宗派仏教思想の基となっています。

 その論の展開は私には難解で、何度も『中論』最初のページに舞い戻る事の繰り返しです。しかし、その「空」の実践はどうすればいいのかと思い続けていたところに、昨年、様々な経過や機縁も得て、「放下」と「専らである」ということが、心にコトリと嵌りました。

 色々の装いを解き放って、今の縁に専らである。それは墨の作品づくりにも展開できるようになりました。テーマ「不一亦不異」のもと、その実践が形に反映されてきたと思われるもので、撥墨の手法により、できうる限り作為を離れて、水を現しだすことに努めています。

 水滴の落下における音の発生を追いかけているときもそうでしたが、水は、人の一方的作為の及ばないこと、コトは縁起によって現われるということを私に示してくれます。

 「ココロノ一ツガネ」は、茶による道を習得する為の利休の教えが記された『南方録』に初出する言葉です。そしてこのことを倉澤行洋氏は『珠光 -茶道形成期の精神』(淡光社)に、「姿から心へ」そして「心から姿へ」という解き明かしをされています。 それによりますと、「ココロノ一ツガネ」とは「姿から心へ」の修道により至る「主体的無」、「自己本来の面目」であると。
 まずは自然の法を前に、自分を虚しくして、相対するものに専らである。こうして水に機を発した私の長々とした歩みとこの一文は、「ココロノ一ツガネ」の存在をやっと確認できたところ。
 ここで深めて、次の「心から姿へ」の道をもめざしたいものです。「謙虚」であるということは、その「ココロノ一ツガネ」への「姿」、「心から姿へ」の道を貫くための深心。芭蕉は『笈の小文』で

 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。

と、「造化の功」の前で「謙虚」であることに専らであり、「自己本来の面目」が、「姿」と成った美の確立者を列記しています。その列に芭蕉が並ぶことは当然として、その確立者たちが姿を極めるための経済的欲求、いわゆる物質的地球環境への存在必要欲は、一滴の雫がつくる波紋ほどの倹しさであったと想像します。美を求めれば、環境負荷度は小さいという証。

「ココロノ一ツガネ」を水面に描き飛翔するカワセミは、水辺の翡翠。

「佇まいネット」は、芸術・文学・科学・社会的視点からの佇まい綴り。